2010年4月17日

4月のもどり雪

薔薇と戻り雪


ようやくつぼみが膨らみ始めた薔薇と今日のもどり雪。
 
これまでの人生であまり経験したことがないことですが、気象が変だからこれからはいろいろなことが起こるのでしょう。
  
庭には現在8種類くらいの薔薇があり、分けていただいたものや根付かせたものなど謂れはさまざまですがどのバラたちも元気につぼみを膨らませかけています。

気温が上がると一気に開花しそうな雰囲気で毎日楽しみにしています。
目をかけて、虫たちに邪魔されないようにと母のような気持ちを持たせるのは薔薇特有ではないでしょうか。

さて、忙しい友人との交流がドタキャンとなって、久々の空白ともいうべき今日、朝から次男のためにホットケーキなど焼いて見ます。

この寒い朝には紅茶とともにもってこいの朝ごはん?、休みでおきてこないのでブランチ?になるでしょう。

 

2010年4月15日

達成感




何かを成し遂げたときには、気持ちも充実し、満足な達成感とともに次へのエネルギーが沸いてくるものです。

今日、「フレッツ光」の解約と共に、ようやく長男のアパートの部屋がきれいに始末できていつでも引き渡しできる状態になりました。

電気、水道、ガスの停止も連絡し終わり、後は来週の立会いのみ。

今日がんばったのは、ウオッシュレットの取り外しの後、ジョイント部分をはずすと水の管が短くなってしまうのでジョイント管を捜し歩き、4回目くらいでようやく対策ができる金物を見つけて、無事つながりました。

通水テストをして水漏れなく作業を終えました。

われながら天晴れと言うべきかも。
スパナ1本くらいしか持って行ってなくて、はさみや鍵をドライバー代わりに使うなど知恵と工夫で何とか水道管を元のように戻せてよかったです。

小さなクロスの穴や床なども補修し、原状回復を図ったわけですが借り物とはそれなりに気を使うものです。
今の家を退去するときには戸建てだからもっと大変かも知れませんが、何度も経験してきているので何とかなりそうな気がするのは、経験値として身についているのでしょう。

退去するときのことを考えつつ暮らすのはちょっとした工夫が必要です。

しかし疲れが手・腕に残り、また痛みが出そうな感じがしてきました。(グス・・)

忙しい仕事をしながら、「ワタシ、オツカレサマデシタ。」

2010年4月13日

指が痛いのは・・

小石川後楽園への遊歩道
いつの間にか、梅も桜も終わりですね。
トヨタのビルと小石川後楽園のあいだの遊歩道で小石川後楽園への近道になっています。途中に資料室があったりして、通勤のビジネスマンのチョット気持ちが緩むいい感じの道です。
今年は気温が上がらず花期が長かったにもかかわらず、私の気持ちは終始バタバタとしてこの一月を過ぎていきました。

久しぶりに書いています。


引越しの手伝いと片付けで肉体に少し限度が表れています。

手の小指の関節が腫れて痛みをともない、テーピング中。




調べてみると、

へバーデン結節:指先から1番目の関節をDIP関節と呼びますが、この関 節の肥大変形。この関節の変形性指関節症です。ちょっとした衝撃が加わると強く痛むことがあります。長期的には痛みは自然に消退します。

ブシャール結節:指先から2番目の関節をPIP関節と呼びますが、その関 節の変形性関節症で、Heberden結節の20%に本症を合併するといわれています。


この二種類のようです。


よく関節痛というとリュウマチを疑いますが、十ん年前にも同じことがおこり、確かリュウマチの検査はしてもらった。
当時、よくわからないという診断で自然治癒したと記憶している。


今回も同じ症状ということで、少し調べてみました。

それで、
現在は両手小指にテーピング、冷たいお水は使わない(痛むから)。
特に痛いときは家事もしないで、ファーストフードでも何でもいいから手を使わないこと、など書いてありましたが、そうは行かないのでなかなか治らないのでしょう。


人は痛みには弱い、女性は子供を産むせいで結構痛みにはタフかもしれないはずですが、指先というのは棘一本でも気になるものですし、日々に影響します。


それでも料理、物干し、掃除、荷物運びと平気にこなしていると何でもないと思われるところが悔しいですね。

男性は、特に家人は痛みには弱く、私が手を切って血をぽたぽた流そうものなら、消毒することも恐れて目をそらすし、自分がほんのチョット切り傷をしたらどんだけの大事がおきたのかと思しき大騒ぎ。
全くあてにはなりません。 


こんなことから、私が強くならざるをえなくなってしまうのよって言いたくなるのです。(グチグチ・・)


それはさておいて、とりあえず私の仕事もようやくひと段落し、長男の荷物も粗方移動し、本人はとりあえずあとのことは私に任せたまま2ヶ月の研修にバタバタと出発し、赴任日も研修終了から10日後と決まり、母は後片付けに追われていましたが、ここにきて目処が付いてきました。


と、この一ヶ月が一週間のように感じるほどあっという間に終わってしまいました。

昨日の雨で我が家の前の学校の桜も葉桜になりつつあり、ゆっくり桜を楽しむこともなく過ぎてしまいました。


それに平行して次男の家探しを始めています。


何かと文句を言わない次男には我慢をしいてきたように思うから、自立したいということには全面的に協力してあげたいと思うのです。


さてさて、どこに住むことになるのやらお楽しみ、というところですね。

2010年3月18日

会話と対話

ガラスの壁
やわらかなひかり



メルマガで送られてきた気づきの内容を貼り付けます。

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欲しいのは「会話」でなく「対話」


「会話」と「対話」はどう違うのか。「会話」とは、広く人と人と
の言葉の交流を指す。一方「対話」は、ギリシャのソクラテスやプ
ラトンなどで知られる哲学的対話の意味合いを持つ。

対話とは「それを通じて何かが新たに浮かび上がってくるやり取り」
のことだ。簡単に言えば「会話」と呼ばれる言葉のやり取りの中に
「対話」も含まれているのだ。

「対話」が成立するためには前提がある。まず、相手を「他者」と
して見ることだ。そこから「対話」は始まるのだ。

ここでの「他者」は、単に「他人」という意味ではない。相手のこ
とを、自分とは違った世界や価値観を持つ「よくわからない存在」、
つまり「未知なる存在」のことだ。

日本人は、ここでつまずきやすい。長い間「ムラ的共同体」で似た
ような人間の集団の中で生活してきたため「未知なる存在」と遭遇
する機会に乏しく「他者」とのつき合いに不慣れなのだ。
 
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自分の日常でも、仕事のなかでもあることです。
このことに気が付いているだけでも少し配慮できるかも知れないと思います。
 
近頃、街中でもすぐそばで中国語の会話が聞こえてきます。
それもかなり頻繁なので、中国の方が多く日本にいらっしゃることがわかります。
 
そして日本人よりも日本人らしく振舞っていて、旅行者なのか住んでいるのかはわかりませんが、皆さん街に馴染んでいます。
 
でも中国語なんですねぇ。
 
 
自分が異国の町を歩くときに、そのように溶け込んでいけるかどうか自信がありませんが、それも「慣れ」だとしたら、多くの時間と機会をかける事で慣れていくことが出来るのでしょうか。
 
 
 
 

2010年3月13日

嬉しいそがし

後楽園
ジェットコースターと観覧車



このところ雪が降って寒さがぶり返したりで、ちょっと気が滅入った日が続きました。

仕事は、今月2棟のマンションが竣工・引渡しで事務作業が多い月です。
何十棟もの部屋の登記や引渡しの手配って、士業の方に動いてもらったりやり取りすることがあり、結構大変で、私的にはいい勉強してます。
きちんとした仕事(?当たり前なのに)って営業の男子は苦手みたいですね。
忙しいくらいのほうが回っていく達なので今は返って元気です。

春休みも近くなると後楽園がにわかに学生や子供さんでいっぱいになり、遊園地から悲鳴(!)と共にコースターも目いっぱい走っています。

いよいよ春ですよね。
奈良のお水取りもそろそろ本番かしら。

元気に働くことの喜び、見たいなものを感じつつ、忙しくなる月の後半に入ります。

頑張っていきましょう。

そして今年は是非、長男と桜見物にでも行ってみようかな。
ジャマイカに桜があるかどうかは知らないけれど、珈琲はブルーマウンテンの本場だそうです。
絶対に長男が行って居る間に訪問します。

それまでに行きたいところもあるのだけれど。
ぐるっと巡るのもいいなぁ・・・・・。
あ~ぁ、旅がしたい~。





2010年3月12日

お気に入り

昔、退社するときにいただいた記念品
オルゴールは壊れたけれど
このおじいさんの姿が好き
足が折れた可愛そうなハンサム犬は多分骨董上物
別物なのに結構似合っている


小さい子供だった頃、ビクターとそっくりなまだら模様の犬が家に居た。
その子のあとにも多くの犬が入れ替わりに居たけれど、そのビクターに似たポスという犬のことをよく覚えている。
雑種だったけれど賢くてよくなつき、最後は確か老体で可愛そうな状態だったのに、家から出て行ってしまい家族がわからないように山に入っていって死んだようです。

動物は自分の最後がわかるらしい。
そう母が言っていた。


我が家で亡くなった子も最後は大きなため息と共に逝った。

平安な顔だったのに、悲しい出来事でした。
それは私にとってのことであり、 君は幸せだったか、と話をしてみたかった。
そう考えるほど、しゃべれないのに言葉を理解し身体で表現してくれる子で、いつも話しかけていた。
私の気持ちを察する力を持っていた犬の着ぐるみを着た、あなたは一体誰だったのか。

また、どこかで会えるような気がしなくもない。
でも、思い出すと泣けてくる。(グスン・・・・・・)










2010年3月10日

古いお気に入り

アイチの古時計
100年は経っていないと思うけれど形が気に入って購入
きちんとぜんまいを巻いてあげれば動くけれどコチコチという音が
気になって狭い部屋では眠れないのでお休み中



一時、古いぜんまい時計がほしくて毎日のようにネットで眺めていた頃があった。
そんなときにオークションで見つけてどうしてもほしくなり、落とせたときはとても嬉しくて 到着が待ち遠しかったものです。
きっかけは友人の家に親の代からの同様の時計を持っていて、その時報を告げる音色の美しさに引かれたこと。
そして、子世代に譲れるものであることや職人手作りの美しさにも惹かれ、私のそれまでの人生では目にしたことがない立派な時計でした。

たいていのぜんまい時計が時報を知らせる音は「キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン、~~」とよく学校から聞こえてくるあの音色です。
この時計も、またもう1台ある100年以上経っているユンハンスの時計も同じです。

とても懐かしく癒される音です。
手入れをすればずっと使える原始的な仕組みと手の込んだ美しい創り。
が、しかし、狭い家にはとても音が大きくて今はどちらも目の保養のみ。
もっと広い家だったらばど~んと部屋において働いてもらうのですが、残念。


時が経つのが若い頃は待ち遠しいくらいゆっくりしていたような気がしますが、近頃は早く過ぎてしまい1年などあっという間に経ちます。


 夢中になることがあり、以外に過ぎてしまった後、「あれ、まだこれだけしか経っていなかったんだ」と安心したときは遠い昔の若かりし頃だったような。

あれこれと考えることが多く、時間がもっとほしいと思うときにならないと時の価値がわからない、悲しいかな人間です。

古くても価値があることを大切にしたい。

そして、ひと時、ひと時を大事にしていきたいと思うこのごろです。