2010年7月31日

木漏れ日

高尾山に登ったときの森の道に木漏れ日が美しく

もう10年以上東京に暮らして初めての高尾山。
行ってみると以外に近くて、でも最初から急な道で、富士登山の練習にはもってこいと感じました。

●高尾山 公式ページ
http://www.takaotozan.co.jp/index.htm

とにかく暑い日でしたが、上まで登るとさすがに風もさわやか、ビアマウントにはすでに行列ができていて学生さんたちの団体が待ちあぐねていました。

そこからさらに頂上へは少しあり、緩やかな道が続いています。
その森を歩いていると心地よく、あ~ぁ、来て良かった~と思います。

帰りは楽してリフトで降りてきましたが落っこちそうで少し怖い。
朝ゆっくり出て家に着いたのが3時ころ、近いしまた行かなくっちゃ、と思いました。

2010年7月27日

富士山本八合目にて


梅雨も明け良いお天気に恵まれたなか、1泊で富士山に登ってきました。
予定では頂上まで行くはずでしたが、本八合目の山小屋で気持ちが悪くなってしまい、登頂は断念。
3400mからの日の出を見て、次回リベンジをすることに。

このために約1ヶ月余りを準備に あてて、仕事以外の日は近場や高尾山へ10Kくらいの平地訓練をしました。
この気温の中、われながら良くがんばるなぁと思うくらいの歩きでしたが、だんだん慣れてくるもので帰ってからのシャワーが楽しみになり、汗をかくことも苦痛ではなくなりました。

それとともに筋肉が引き締まってくるのと、食べ物や飲み物も考えてとるようになり、自分のペースをつかむことに重点を置き体力つくりへとがんばったつもりでしたが、さすがに上るにつれての冷気に冷えてしまい、胃腸がついていけなかったようです。

降りてきてみると、頂上までのマラソン(?)をやっていて、ただ登ることさえ大変なのにどんな心臓してるのか、と驚きました。

「日本人なら」というところは数々ありますが、そのトップが富士山といえます。
だからかどうか、外国人、特に中国の方が多いのに少々びっくり。
そこここから中国語が聞こえてきて、皆さん大変タフでした。
幸いお天気だったから良かったですが、山の天気は変わりやすく、雨は下から吹き上げてくるし、気温が一気に下がるので要注意です。

 次回チャンスがあればまたがんばります。

2010年7月15日

織り機の旅立ち

梱包前の支度中の織り機

長年、一緒に引越しを経験し、そのたびに押入れに仕舞われて役立つことが少なかった織り機ですが、このたび思い立って四国で織を趣味としている方に差し上げることにしました。

昔学校に勤務していたときに一部屋ほどもある織機にさわり、自宅でもしてみたいということで衝動買いしたものの、子育てや生活の中で部屋に出すこともままならず今日まできましたが、自分にはやはりそれでもやりたいと思うことがないことに気づきました。
もったいないから持っておくことにも抵抗あり、喜んで使って頂ける方の所へ行くのが一番、ということで子供たちと同じく我が家を出て行くことになったわけです。

そう、この一月の間に長男はジャマイカへ2年の予定で、次男は自立のため一人暮らしに、と住人が減りました。

それとともに自分たちの生活も整理しなくてはと思い立ち、前々から気にかけていた一つがこの織機。

そして 1箱の糸たちも一緒に差し上げた方は、これまで4枚綜こうの機でなさっていたのでこの8枚綜こうの機は模様の幅が広がると大喜びしていただきました。

とりあえず喜んでいただいて私としては嬉しく、機もまた活躍できることがいいと思っています。

このあと梱包したのですが、と~っても大変でした。各角を保護し、空間にクッションを入れ全体をプチプチで覆ったあとダンボールで覆い、と宅配便サイズを十分オーバーしてしまいましたが、やさしいおじさんが何とか送料が安くなるようにと計らっていただきました。


シンプルに暮らすことは私にとって生き方を絞っていくことであり、知恵と工夫とでどのようにもなることを考えて暮らすことです。

大切なことや必要なことを絞っていくことが、これから年をとっていくと必要とされるように思います。

時間をかけて少しづつですね。


あわただしく目の廻る一月が過ぎて気がつくと7月も半ば、いつの間にか夫は定年で嘱託勤務に、世間では祝ったりするものでしょうが、我が家では今のところ何も変わらずの状態でかまってあげていません。
相変わらず出張やら仕事はこれまでと同じで忙しいばかり、処遇のみが変わったのです。

年金支給が65歳に伸びてその間の収入を確保する意味では仕事があることはありがたいことです。
あせることなく時間をかけて変化に対応していくのがベストかも知れません。

2010年7月13日

嵐の後の静けさ



長男がジャマイカへ、
ぎりぎりまでPCをいじっていて食事もせずに大慌てで吉祥寺の成田行きバス停へ送っていき、結局時間がなくてDVDにできなかったデータを後から送る手配に。
研修後、数日の間に表敬訪問を2箇所こなし、友人や会社の送別会に出て、EMSで送る荷物を2個作り、持って行く荷物、トランク2個とザックとカメラバッグや機内持ち込みのバッグなど、すべて重量制限を考えてヘルスメーターで計りつつ、足したり引いたりと 部屋がまるでピッキング倉庫の状態でした。


その数時間前に、夫はアメリカ出張で一週間。
ただ駅まで送って行っただけ。
申し訳ないが二人の大事で目いっぱいで、一週間の出張くらいは自分でこなしていただかなくてどうにもならない状態。


そして次男はその前日、自分の借りたマンションに引越し。
とりあえず一週間が出勤に困らない程度の荷物で出て行く。
でも車の後方が見えないし、アクセルを踏み込んでも重量を感じるほどの荷物や本とともに移動。
家電品の受け取りやらガスの開栓の立会いもあり、全面的に協力を惜しまないと約束したので二人でがんばって運び、掃除をする。
これでとりあえず、毎晩最終電車で午前様やタクシー帰りは回避されそうで、体力的には少し楽になることを願っています。

夫いわく、「若いときは何が何でも働けばいいんだ」とのたまうが、私はそうは考えません。
私たちの若いときとは時代が違い、体を壊してまで我慢して働かなくてもよいと思います。
自分がいい見本のようなものなのに、病気になってまで会社のために働くなんて、今の時代には当てはまらないでしょう。

親としては子供にたいしては元気で幸せを願うことが当たり前なのに、仕事人間の会社の上司のような発言に、またまたカチンときた私です。




そんなこんなで、月曜から一週間は家の中には私一人という静かな静かな、言葉を発することもない日がしばらくできることに。

仕事に出ている日はそうは行きませんが、帰ってくると自分のことだけでいい生活。
なんて幸せ~・・・と感じるのは、これまで余りにも忙しすぎて自分のことも何もできずにきたから。

この三ヶ月の間に引越しが2回あったようなもの。
まったく信じられません。
完璧なんて求めずとも、とりあえずこなしただけでも御の字、ということにしたいです。


昨日長男からのメールが、ニューヨークに着きました、と。
本日のメールがジャマイカに着き、ベテランJICAボランティアの方の迎えと案内でドミトリーに入ったと。
明るい感じのメールで、とりあえず無事で楽しく日々の活動が続けられますようにと神に祈るのみです。

ニューヨークで髪をカットしに行けたかしら。。。