2010年3月18日

会話と対話

ガラスの壁
やわらかなひかり



メルマガで送られてきた気づきの内容を貼り付けます。

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欲しいのは「会話」でなく「対話」


「会話」と「対話」はどう違うのか。「会話」とは、広く人と人と
の言葉の交流を指す。一方「対話」は、ギリシャのソクラテスやプ
ラトンなどで知られる哲学的対話の意味合いを持つ。

対話とは「それを通じて何かが新たに浮かび上がってくるやり取り」
のことだ。簡単に言えば「会話」と呼ばれる言葉のやり取りの中に
「対話」も含まれているのだ。

「対話」が成立するためには前提がある。まず、相手を「他者」と
して見ることだ。そこから「対話」は始まるのだ。

ここでの「他者」は、単に「他人」という意味ではない。相手のこ
とを、自分とは違った世界や価値観を持つ「よくわからない存在」、
つまり「未知なる存在」のことだ。

日本人は、ここでつまずきやすい。長い間「ムラ的共同体」で似た
ような人間の集団の中で生活してきたため「未知なる存在」と遭遇
する機会に乏しく「他者」とのつき合いに不慣れなのだ。
 
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自分の日常でも、仕事のなかでもあることです。
このことに気が付いているだけでも少し配慮できるかも知れないと思います。
 
近頃、街中でもすぐそばで中国語の会話が聞こえてきます。
それもかなり頻繁なので、中国の方が多く日本にいらっしゃることがわかります。
 
そして日本人よりも日本人らしく振舞っていて、旅行者なのか住んでいるのかはわかりませんが、皆さん街に馴染んでいます。
 
でも中国語なんですねぇ。
 
 
自分が異国の町を歩くときに、そのように溶け込んでいけるかどうか自信がありませんが、それも「慣れ」だとしたら、多くの時間と機会をかける事で慣れていくことが出来るのでしょうか。
 
 
 
 

2010年3月13日

嬉しいそがし

後楽園
ジェットコースターと観覧車



このところ雪が降って寒さがぶり返したりで、ちょっと気が滅入った日が続きました。

仕事は、今月2棟のマンションが竣工・引渡しで事務作業が多い月です。
何十棟もの部屋の登記や引渡しの手配って、士業の方に動いてもらったりやり取りすることがあり、結構大変で、私的にはいい勉強してます。
きちんとした仕事(?当たり前なのに)って営業の男子は苦手みたいですね。
忙しいくらいのほうが回っていく達なので今は返って元気です。

春休みも近くなると後楽園がにわかに学生や子供さんでいっぱいになり、遊園地から悲鳴(!)と共にコースターも目いっぱい走っています。

いよいよ春ですよね。
奈良のお水取りもそろそろ本番かしら。

元気に働くことの喜び、見たいなものを感じつつ、忙しくなる月の後半に入ります。

頑張っていきましょう。

そして今年は是非、長男と桜見物にでも行ってみようかな。
ジャマイカに桜があるかどうかは知らないけれど、珈琲はブルーマウンテンの本場だそうです。
絶対に長男が行って居る間に訪問します。

それまでに行きたいところもあるのだけれど。
ぐるっと巡るのもいいなぁ・・・・・。
あ~ぁ、旅がしたい~。





2010年3月12日

お気に入り

昔、退社するときにいただいた記念品
オルゴールは壊れたけれど
このおじいさんの姿が好き
足が折れた可愛そうなハンサム犬は多分骨董上物
別物なのに結構似合っている


小さい子供だった頃、ビクターとそっくりなまだら模様の犬が家に居た。
その子のあとにも多くの犬が入れ替わりに居たけれど、そのビクターに似たポスという犬のことをよく覚えている。
雑種だったけれど賢くてよくなつき、最後は確か老体で可愛そうな状態だったのに、家から出て行ってしまい家族がわからないように山に入っていって死んだようです。

動物は自分の最後がわかるらしい。
そう母が言っていた。


我が家で亡くなった子も最後は大きなため息と共に逝った。

平安な顔だったのに、悲しい出来事でした。
それは私にとってのことであり、 君は幸せだったか、と話をしてみたかった。
そう考えるほど、しゃべれないのに言葉を理解し身体で表現してくれる子で、いつも話しかけていた。
私の気持ちを察する力を持っていた犬の着ぐるみを着た、あなたは一体誰だったのか。

また、どこかで会えるような気がしなくもない。
でも、思い出すと泣けてくる。(グスン・・・・・・)










2010年3月10日

古いお気に入り

アイチの古時計
100年は経っていないと思うけれど形が気に入って購入
きちんとぜんまいを巻いてあげれば動くけれどコチコチという音が
気になって狭い部屋では眠れないのでお休み中



一時、古いぜんまい時計がほしくて毎日のようにネットで眺めていた頃があった。
そんなときにオークションで見つけてどうしてもほしくなり、落とせたときはとても嬉しくて 到着が待ち遠しかったものです。
きっかけは友人の家に親の代からの同様の時計を持っていて、その時報を告げる音色の美しさに引かれたこと。
そして、子世代に譲れるものであることや職人手作りの美しさにも惹かれ、私のそれまでの人生では目にしたことがない立派な時計でした。

たいていのぜんまい時計が時報を知らせる音は「キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン、~~」とよく学校から聞こえてくるあの音色です。
この時計も、またもう1台ある100年以上経っているユンハンスの時計も同じです。

とても懐かしく癒される音です。
手入れをすればずっと使える原始的な仕組みと手の込んだ美しい創り。
が、しかし、狭い家にはとても音が大きくて今はどちらも目の保養のみ。
もっと広い家だったらばど~んと部屋において働いてもらうのですが、残念。


時が経つのが若い頃は待ち遠しいくらいゆっくりしていたような気がしますが、近頃は早く過ぎてしまい1年などあっという間に経ちます。


 夢中になることがあり、以外に過ぎてしまった後、「あれ、まだこれだけしか経っていなかったんだ」と安心したときは遠い昔の若かりし頃だったような。

あれこれと考えることが多く、時間がもっとほしいと思うときにならないと時の価値がわからない、悲しいかな人間です。

古くても価値があることを大切にしたい。

そして、ひと時、ひと時を大事にしていきたいと思うこのごろです。





2010年3月2日

共存の間には

 
バンクーバー入り江のクラブハウス



バンクーバーの熱戦も終わり、メディアはもう次のテーマに切り替えているでしょう。
選手の活躍は応援してあげたいけれど、あまりにもメディアの過剰な盛り上げになぜか違和感を感じてしまいました。

それにしても、先進国といえる各国の選手への協力や応援は金銭面でも具体的であり、安心して練習に励むことが出来る環境の提供であることが理解できました。

それに反して、先進国である日本の選手に対する待遇は冷ややかなもので、声だけの応援という、なんだか時代に即していなくてスポーツ文化としては後進国ではないかと思ってしまいます。
個人レベルの努力で出来ることは限度がありますね。

学習することと同じく、資力があるものが塾にも行けて思う学校に進学するチャンスが多くなる、資力のない子供はその時点から部外者に至る、そんな図形がスポーツにもあてはまっているように思います。
この国・地方行政レベルでの予算配分を変えることが出来ると、埋もれている才能がもっともっと出てくるように思うのですが。

期待したいですね。



2年前バンクーバーに行った時、オリンピックの準備で町中が工事中のような感じでした。
でも、一歩中心から外れると自然がいっぱいあり、大きな公園に入るとリスが飛び出してくるし、自然保護のためにペットは連れて入ってはいけない場所が決まっているなどルールがありました。

人間が心地よく暮らすためには人間側のことだけを考えるのでなく、共存するためにこそ、互いに犯さないエリア作りが必要なことを知りました。
しかも街からほんの数百メートルのところでさえもです。

もっともっと色々な街を見て回りたいと思います。